このように日常的になるには時間がかかったのですね。
洋食の普及への対応や魚肉の保存性向上を狙い、大正時代から日本各地の水産試験場で魚肉を使用したハム・ソーセージ風食品の開発が進められた。ツナハムについては戦前から実用化されたが、魚肉ソーセージは1949年、西南開発工業協同組合が初めて試作に成功した。同組合は1951年、西南開発株式会社として創立し、「スモークミート」の名で商品化した。翌1952年には明治屋と契約し全国発売を開始した。
その後各社の参入があったが、生産量が大幅に増えた原因として水爆実験の影響が挙げられる。1954年3月1日、ビキニ環礁で行われた 15 Mt の水爆実験(キャッスル作戦)により、日本の第五福竜丸をはじめ多数のマグロ漁船が放射性降下物(いわゆる「死の灰」)を浴び、被曝した。処理のため多量の放射能汚染マグロが水揚げされたことから消費者が忌避する事態となり、マグロの価格は大暴落した。苦境に陥った水産各社は、余剰マグロを原料とした魚肉ソーセージの生産に力を入れるようになった。学校給食に納入されるなど、「西の横綱がインスタントラーメンなら、東の横綱は魚肉ソーセージ」と呼ばれた程の大衆食となった。1962年には魚肉ソーセージに関する日本農林規格(JAS規格)が制定された。
1974年、使用されていた食品添加物の保存料 AF 2 の発ガン性・催奇性が指摘され、使用禁止となったことが打撃となり、前年16万tを超えていた生産量が12万tへと急落した。1976年にはアメリカとソ連が相次いで排他的経済水域の設定を宣言する、いわゆる200海里問題が発生したため、主原料となっていたスケソウダラの価格が暴騰し、さらに生産量が落ち込むこととなった。
同年、これらの問題に対応するため業界は魚肉ソーセージの製造方法を変更した。防腐剤の使用を取り止め、代わりに高温高圧殺菌・pHや水分活性を調節し過熱殺菌・従前同様の加熱殺菌をして10℃以下で流通保存のいずれかの方法を採用する事とした。
家庭に冷蔵庫が普及し、低温輸送技術が進むにつれ、食肉および食肉加工品が普通に食卓へと並ぶようになった。もはや食肉代用品としての価値が失われた魚肉ソーセージは、緩やかに生産量を減らしていくこととなる。
しかし、メーカー側のカルシウム・DHA・ビタミンを強化した製品の開発・販売努力や、主成分の大半が魚肉という事で畜肉を利用したソーセージよりも低カロリー・低脂肪・高タンパクという理由から、昨今の健康ブームにより改めて魚肉ソーセージの栄養価値が見直されるようになった。21世紀初頭、BSEや鳥インフルエンザなどで食肉の安全性に問題が多発したことも、魚肉ソーセージがクローズアップされる現象につながった。子供のおやつやお父さんのおつまみ程度の認識であったものの人気が急上昇し、メーカーでは突然のフル生産体制に当惑したという。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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